無職から見るAIによる質的変化

もう無職になって久しいので、今更 ‘AIによる職業の質的変化’ に漠然とした恐れに似た興味はないけど、有職者でもAIとの間合いというかポジショニングを間違えると無職者側に簡単に来てしまうというような社会がこれから来るんだろうな。無駄に老人をしていると、AIで自分の身体のサイボーグ化が進んだりと物理的な接点しか思いつかないというのもなんなので、ちと考えてみる。

例えば将棋やチェス、碁までも名人を超えてしまったけど、ヒトの範疇外にある事象だけど、プロの棋士やプレイヤーがすごいのは、その超えられてしまった状況で、AIの棋譜等を研究して自分の打ち方に取り入れていこうとするAIを先達扱いする姿勢に感銘を受ける。今のAIにはこの辺の柔軟さがまだまだ出てこないだろうなと思う。汎用AIというのはこういうのも対応するのかも。

無職者サイドから見えるAIは、自分の興味、渇望、好奇心といったものをAIを使って実現できたら面白いという自分自身を多様化するための道具の一種なのかなと思う。AIスピーカーなんてのはこの線上なのかな。

AIを使ったシステムソリューションで できるだけ生産性を上げてGDPを大きくして、少子高齢化で無職者がどんどん増える世界で、やらざるを得ない大掛かりな実験になっていくんだろう。無為無職より、有為無職の方が楽しいよね。

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